2017年07月30日
父の抵抗 ─前編─
皆さんこんにちは。ミスどん底先生です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
今まで様々などん底体験を書いてきました。
今日は私が小さかった頃のお話を書こうと思います。
父と母の馴れ初め。
それは、父が母に騙されて結婚し、
多額の借金を背負わされたというものでした。
父が母と結婚した時には、既に借金が2千万以上。
私が生まれる頃には3千万程になっていました。
それは全て母のギャンブル依存症のせいでした。
競馬・競輪・パチンコ……
ありとあらゆるギャンブルに手を出し、
1日で遣う金額が、100万200万の日もあったそうです。
父と母が結婚する前。
母は1人で日本料理屋を経営していましたが、どうにもならなくなり、お客さんだった父に『うちのお店の経営を助けて』とお願いし、父は結婚し、母のお店の経営を父が任されました。
父がお店に入ると、お店の経営が危ないのではなく、母のギャンブルで作った借金返済がおいつかないということだとここで初めて気付かされたのでした。
結婚してから5年程、子どもを作らなかったようなので、父はまずは立て直そうと必死だったのかもしれません。
しかし、周りから子どもを作るように散々言われ、父も母も40歳をすぎた為、私を産んだようでした。
私は子どもながらにうちのお店が繁盛しているのはわかっていました。
いつも外までお客さんが並んでおり、店内はしっちゃかめっちゃかな程に混みあっていました。
誰が見ても繁盛しているはずのお店。
しかし、裏では売り上げを持ってギャンブルに行く母のせいで借金ばかりが膨らんでいるのでした。
父は母の借金をなんとかしようと、
午前中に仕込みを始めて、ランチから深夜までほとんど寝ずに営業していました。
しかし、母のギャンブル依存症は治らず、
父は、借金を返しても返してもまた借金を作ってくる母の悪い癖をなんとかしようとしていました。
私が小さい頃、
父は何度も旅行に連れて行ってくれました。
家族だったり、お店の従業員さんたちも全員連れて旅行に行ったりしました。
小さい頃は、こんなにたくさんの人数で旅行に行くのだからお金がないとは思っていませんでした。
しかし、借金だらけだったのです。
父は服もいつも同じようなものだったし、車も母が持っているだけで、父がお金を何かに遣っている様子はありませんでした。
父のいつも同じような服が、ダサくて汚くてそれが嫌で嫌で仕方なかったくらいです。
一方、母は高級なブランドのバックや服を持っていました。
たくさん穴のあいた変なデザインの服なんかも良く着ていて、それもそれで嫌でした。
とにかく、
父は何かにつけて、母と私や従業員さん達を旅行に連れて行きました。
旅行といっても、山や川などが中心でした。
母はいつも『そんなとこ行っても面白くない』と文句を言っていましたが、
父は私に『ちーちゃん。旅行っていいもんでしょう?山や自然って素晴らしいよね。』
と言っていました。
私は父と山登りしたり、自然の中を旅行するのは好きでした。
でも歩くのが嫌いな母は、基本的に旅行に行っても旅館にずっといたり、母だけ別行動していたりして、私と父2人で自然散策していることが多かったような気がします。
旅館や買い物に行っている母を置いて、父と2人で散策に出掛けると、父は決まって、
『ママも来れば良かったのにね。ちーちゃん自然っていいもんだよね。豊かだね。』
と同じようなことばかり言っていました。
小さい頃からそれを聞かされていたせいで、私は大きくなるまで、『豊か』という言葉は自然に対して遣うものなのだと思っていました。
借金だらけの中、自然に触れる旅行に連れていく父。
当時の私は、ただの旅行だと喜んでいました。
それが唯一の父の抵抗だとは知らずに───。
続く。
それではまた(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
Posted by 家庭教師のリスタ「ミスどん底先生」 at 15:56│Comments(0)
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