2017年07月16日

中学1年生 〜不安と悲しみの日々〜

中学1年生 〜不安と悲しみの日々〜


皆さんこんにちは。ミスどん底先生です(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)



昨日までに、ある程度最近までの事を書きましたが、これからはまだ書けていない過去を書いていこうと思います。




中学1年生の時。
私は不就学児でした。



住む家が決まらず、中学に入学出来なかったのです。



ブログ『出たかった入学式』には簡単にしか書いていないので、もう少し詳しく書いていこうと思います。




小学校5年の4月に夜逃げをし、それから2年は愛知県内を転々としました。


ホステルや、知らない人の家に住んでいた時期もありましたが、その後なんとかプレハブ小屋のような長屋を借りられることになり、(詳しくはブログ『夜逃げからのホームレス』参照)
約1年半そこで暮らし、その地の小学校を卒業しました。



小学校を卒業したら、静岡県の沼津市に行くという母の言葉とは裏腹に、一向に家が見つからないようで、ずっとそこに住み続けていました。



しかし、住み続けていたというよりは、
“ 隠れてその家の中に居た ” という感じでした。





次の家が決まらないのに、早くその家を出るように大家さんから催促されていました。





小学校卒業後の約2ヶ月程は大家さんに隠れてその家で暮らしていたのです。

おそらく母が得意に家賃を払わなかったのでしょう。




極力、声を出さないようにして、電気を付けないで暮らし(既に電気が止められていたのかもしれません)、大家さんが来たら居留守を使うように母に言われていました。


何度も何度もドアを大家さんが叩いて『宮坂さん!宮坂さん!』と言っているのを、家の中から固まって眺めていた気がします。



なぜ固まっていたかのかというと、居留守を使わなきゃいけないというのと同時に、
夜逃げしてからというもの、闇金の取り立てに怯えて暮らしていたので、このドアをノックされる音が怖くて怖くて仕方なかったのです。





中学校の入学式の頃になっても私はその家の中にいました。



「ねぇお母さん…私中学校行かなくていいの…?」

と聞くと、


『うるさいねあんたは!!家が決まんないんだからしょうがないだろ!!』

と声を殺しながらも怒られるので、黙って静かにその家にずっといました。



家がない不安。
隠れて暮らす不安。
中学校に入学出来なかった不安。



不安だらけの何もしない日々でした。
(食事をした記憶すらあまりありません。)




それからようやく沼津の家が決まったということで、引っ越せることになったのは5月になる頃でした。


しかし、引っ越したアパートは、内装が昭和のままのようなレトロな模様のビニール製の床に、畳も替えていない汚い部屋でした。


それでも前の家よりはいいと思い、当時は喜んでいた位でしたが、
大人になってからわかったことは、
あの時、母が無理矢理急いで入居させてもらったので、前の人がその部屋を出た後のリフォームをする時間がなかったようです。


そのアパートのほかの部屋は全部フローリングになっており、異様なことに私達が住んでいた部屋だけが、『昭和』の作りのままだったのです。
(結婚して少しの間、家を出たこともありましたが、その家は母が死ぬまでの約19年間そのままの状態で住み続けました。)




そしてやっと中学1年生になることができ、喜んでいたのも束の間。


母が私を中学校に行かせてくれないという事態が起きました。


朝起きると、母から『今日あたしが寝坊してお弁当作るのもめんどくさいから学校行かなくていい』と言われ、母のバイト先のホテルの食堂に連れて行かれました。


母が働いている6〜7時間ずっとホテルの廊下の椅子に何もせず一人で座って、ただひたすら母を待っていました。


そんなことが何回か続き、5月以降も学校に行かせてもらえない日がトータルで14日間程ありました。



中学校では同級生からのいじめはありませんでしたが、先輩に私のお弁当を食べられてしまうといういやがらせをされたり、1人で部活の練習を廊下でさせられたり、呼び出しにあったりしていました。


担任からはバカすぎて嫌われ無視される日々でした。



でもそれが悔しくて母に必死でお願いして家庭教師をつけてもらい、勉強を始めたのが1年生の秋頃。

すぐには成績は伸びませんでしたが、ひたすらひたすら勉強する毎日でした。




しかし、何が一番悲しかったかというと、
この沼津に引っ越してから、離れ離れだった父と一緒に暮らすようになったものの、夜中になると母と父の喧嘩の毎日に、私も止めに入っては泣いて、止めに入っては泣いての日々だったことです。

泣いているのと寝不足とで、毎日目を腫らしていました。





ある時には、
深夜に台所から、母が大きな声で

『殺してやる!!』

と言って、父の後ろから瓶を振りかざしていた時には、自分の部屋から飛んで行って母を必死で止めました。
(家全体が狭かった為、私の部屋から5歩くらいで台所でした。)




その時の父は、

「いいんだ止めなくて!早く殺せ!!」

と強い口調で言い、
座ったままどこか遠くを見据えていました。




「だめだよ……お母さん……そんなこと…しちゃ……だめ……なんだよぅ……もう……やめてよぅ……お願い…だから……なんで……こう……なっちゃったの……」

ほとんど過呼吸のような状態で泣きながら言った記憶があります。





父は私が泣くと必ず

『いつか全てがわかる時が来る』

と言っていました。









中学2年生に続く。








それではまた(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)


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Posted by 家庭教師のリスタ「ミスどん底先生」 at 14:58│Comments(0)ミスどん底先生の過去
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